『平家物語』巻一には、白河法皇が「賀茂河の水・双六の賽・山法師,是ぞわが心にかなはぬもの」と嘆いたという逸話があります。 平安時代の当時、権力の絶頂にあった白河法皇(天喜元年(1053)-大治4年(1129))は、この3つ以外のものであれば何でも思い通りになると考えていたのでしょう。 ここで「賀茂河の水」とは、氾濫を繰り返す暴れ川であった賀茂川(鴨川)がもたらす水害、「双六の賽」はサイコロが出す賽の目、「山法師」とは、勝手な理由にかこつけては日吉山王社の神輿を担いで都になだれ込み強訴を繰り返した比叡山延暦寺の僧衆(僧兵)のことを指します。 中でも筆頭に挙げられる「賀茂河の水」は、平安時代から近代に至るまで、堤防の築造などを行っていたにも関わらず氾濫を繰り返し、庶民の生活を脅かしていたのです。 昭和10年(1935)にも京都市全域で死傷者83名、家屋流出187棟、家屋全半壊295棟、床上床下浸水43,289棟の被害を出しました。 五條楽園の周辺でも被害があったと思われます。 しかし、これを契機として昭和11年(1936)から22年(1947)にかけて鴨川の桂川合流地点から柊野堰堤までの17.9kmと高野川の出町柳付近から約5.2kmにわたり抜本的な大改修が行われ暴れ川でなくなりました。とはいえ、これからの気候変動によりまた大きな災害が発生しないとも限りませんが・・・ 現在の京都の繁華街や祇園や宮川町、先斗町などの花街は鴨川沿いに集中していますし、五條楽園も鴨川や高瀬川沿いに発生し、京都でも最大の遊郭街として発展していきました。 五條楽園や他の花街は、古来より氾濫原であったものが徐々に整備されて災害を乗り越え、今も賑わいを呈する街へと変容していったのです。