五條楽園の風情を今に伝える「蕎麦手打ち たか橋」。現在もお茶屋看板を掲げながら飲食業を続けていますが、五條楽園閉鎖後も大きな改修を加えず、五條楽園時代の名残を留める貴重な建物です。1階中央に出入口があり、中に入ると正面には玄関の設えに「高はし」の看板が掲げられ、玄関両側には待合用の腰掛があり、いかにも昔の「待合」の構えを残しています。※ 待合・・・待ち合わせや会合のための場所を提供する貸席業(貸座敷)で、主に芸妓との遊興や飲食を目的として利用された。さて、たか橋の建物はいつ建てられたでしょうか?残念ながら正確な建設年代はわかっていませんが、形式や使用されている釘の種類などから判断して20世紀のはじめ頃(大正から昭和初期頃)ではないかと考えられます。また、高橋家が大阪からここに移り住むようになったのが、太平洋戦争の始まった昭和16年(1941)ということですから、それ以前ということは明らかです。戦時中は1階床下に防空壕が設けられ、また、戦後の昭和23年(1948)に発生した福井地震の際には、高橋家の親戚が被災し福井からこの家に避難してきました。その時、借家であったため立ち退きを命じられたそうですが、震災疎開者や乳幼児がいたためこれを逃れたそうです。その後、昭和24~26年頃にお茶屋としての営業を始め、現在に至ります。建設以来、五條楽園の発展と共に度重なる改修を受けて規模が拡大し、今見る姿へ変遷してきました。待合として、住宅として、震災疎開の受け入れ先として、そして戦後にはお茶屋として営まれ、現在は蕎麦屋として再生し、まさに昭和から現代へ架けての生き証人とも言うべき建物なのです。いわゆる「昭和レトロ」なお茶屋の雰囲気を残すたか橋の建築は、戦前・戦後にかけて職住両用の時代を経て、五條楽園最盛期のお茶屋の姿を留める貴重な歴史的遺産だと言えるでしょう。